【書評】自分に何も無かったとしても、生きていく為に必要なものは世界に満ちている。
今回は2016年の本屋大賞受賞作、作家の宮下奈都さんが書かれた『羊と鋼の森』を紹介します。
ピアノの調律師となった青年の成長と、彼を取り巻く人間模様を描いた物語です。
2018年には、山崎賢人さんが主演で実写映画化もされました。
私が今までに読んできた小説の中でも、言葉の使い方が美しく、繊細な描写が特徴的で、非常に面白いです。
多くのものをあきらめてきたと思う。
山の中の辺鄙な集落で生まれ育った。家に経済的な余裕があるわけでもなかった。
町の子供たちが当然のように受ける恩恵が、まわってこないことも多かった。
あきらめる、という明確な意思はなかったにしろ、たくさんのことを素通りしなければならなかった。
でも、つらくはなかった。
はじめから望んでいないものをいくら取りこぼしてもつらくはない。
ほんとうにつらいのは、そこにあるのに、望んでいるのに、自分の手には入らないことだ。
珈琲とともに味わいたい。
以前の記事で禁酒に関する記事を書いてから、実際に禁酒生活を続けており、既に1ヶ月が経過しようとしています。
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「週末に呑まないライフスタイル」も大分自然なものになってきており、休日の朝でもスッと起きやすくなる等、体調の変化を徐々に感じつつあります。
呑まない分、夜や朝に活用できる空き時間が増えました。最近は主に読書に充てていることが多いですね。
休日のスタートはドリップコーヒーを淹れて、気になっていた新刊や、お気に入りの小説を楽しんでいます。
お酒を止めた当初は、何となく退屈な気分を感じていました。
しかし、今はこういった生活の楽しみ方を発見できて良かったです。単純にQOLが上がった感じもします。
決して強制をするつもりはありませんが、皆さんも一度、同じように過ごしてみてはいかがでしょうか。
さて、最近読み直して一気に読み終わってしまった小説が、今回紹介する『羊と鋼の森』です。
休日の午後に珈琲を飲みながら、ゆっくりじっくり味わっていただきたい作品ですね。
物語の展開としては、大きな起伏がある訳ではありませんが、綺麗な文体で非常に読み易く、多くの方に受け入れやすい小説だと思います。
去年、友人に勧めたことがあって、読んだ感想をnoteに書いてくれていました。
参照リンクはこちら!
作品紹介
森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。
風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音がする。夜になりかける時間の、森の匂い。
・・・という冒頭から始まる『羊と鋼の森』は、調律師を主人公とした物語です。
あらすじ
ゆるされている。世界と調和している。
それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。
ピアノの調律に魅せられた一人の青年が調律師として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った長編小説。
引用:Amazon公式HPより、一部抜粋。
北海道の山で育った主人公:外村。
彼が高校生のとき、一人の調律師と偶然出会い、その技術に魅せられたことをきっかけに、自らも調律師になることを決意する。
それまでの人生でピアノに興味がある訳でも、音楽に愛されてきた訳でもなかった主人公が、調律師としてどんな人生を歩むことになるのかー。
調律という仕事を通して、「才能」や「人生」に対する向き合い方も、作品の一つのテーマとして描かれています。
特徴
ここからは作品のポイントを3つに絞り、それぞれ深掘って紹介させて頂こうと思います。
ココがポイント
①:比喩表現が多い。
作中の登場人物が比喩を使って話をすることが多いのですが、理解しやすく、鼻につきません。
②:調律に対する理解が深まる。
現実の調律師の方々や、ピアノという楽器が身近に感じられます。
③:登場人物に共感できる。
決して調律の才能がある訳ではない主人公が、自分の在り方に悩み、もがき続ける姿が自分と重なって視える。
ピアノに出会うまで、美しいものに気づかずにいた。
知らなかった、というのとは少し違う。僕はたくさん知っていた。
ただ、知っていることに気づかずに居たのだ。
では、早速はじめていきましょう!
①:比喩表現が多い。
調律師が主人公の物語なので、当然ピアノの描写・音楽に対する描写がとても多いです。
といっても、難しい専門用語が頻繁に出てくることはなく、音を「味」や「風景」に喩えている描写が数多く見られます。
この一つ一つの言葉の使い方が美しく、物語を彩ってくれています。
特に、『羊と鋼の森』ではピアノを「森」に喩えているのもあってか、森に関連した記述が印象に残ります。
何故、ピアノを森に喩えているかというと、中にあるハンマーがフェルトで出来ており、弦が鋼だからですね。
羊毛と鋼、調和のとれた森がピアノという楽器。
・・・ということです。
物語上の表現
迷い込んだら帰れなくなると聞かされた森に、もしかしたら足を踏み入れてしまったんじゃないか。
幾度もそう思った。
目の前は鬱蒼と茂って、暗い。
序章の記述から、調律の学校で主人公が孤軍奮闘していたときの描写。
この後も主人公は調律師として悩み続けることになりますが、・・・しかし、こういう詩的な感想をよく思いつきますよね。
私だったら多分、「早く帰りたいと思った。」で終わると思います。
和音の奏でる音楽が、目の前に風景を連れてくる。
朝露に濡れた木々の間から光が差す。
葉っぱの先で水の玉が光って零れる。
何度も繰り返す、朝。
物語に登場する、双子の姉妹の演奏を聴いた後の感想。
ここから、新しい人生が始まっていく。そんな瑞々しさが感じられる表現です。
他には、「銀色に澄んだ森に、道が伸びていくような音」とかもあります。
ピアノに魅入られる者が目指している音って、こういうものなのだろうか。そんなことを考えさせられます。
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、
少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、
夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」
詩人、小説家である原民喜の理想とした文体のこと。
主人公の目標である調律師:板鳥さんが「目指している音は何ですか」と主人公に問われた際、こう回答しました。
『羊と鋼の森』という作品の全体を象徴としている言葉ともいえます。
②:調律に対する理解が深まる。
調律師という職業は、個人的に「カッコいい職業名ランキング」でベスト5に入っています。
・・・共感してもらえるかどうかはさておき、少なくとも言葉の響きとして、「何となくカッコよさそう」ということは思いますよね?
ただ、私たちの日常の動線には無く、馴染みの無い職業です。
ピアノが自宅にあったり、音楽教室に通っていた方は、一度くらいはプロの調理師に見てもらったことがあるかもしれません。
ただ、私のような、碌にピアノを触ったことすらない人種から見ると、あまりに住んでいる世界が違いすぎます。
何をやっているのか、想像することすら出来ません。
調律とは要するに、「音の波の数と高さを演奏に先立って揃える」ということなのですが、
ーそんな簡単にまとめられるほど、単純なものではありませんでした。
四十九番目のラの音を四百四十ヘルツに合わせる。それを基に曲がりなりにも音階を組み立てることができるようになる。
そうやって、音叉等を使いながら音を合わせていく訳ですが、当然ピアノの状態、環境などの外部要因にも音は左右されます。
特に、「お客さんの要望に応えるにはどうすればいいのか」というのは、全社会人が共通して抱えている課題だと思いました。
作中では、職場の先輩からこういった問答がありました。
- 「チーズみたいな音に調律してください」とお客さんに注文された時、調律師はどうすべきなのか。
- 「やわらかい音」を要求されたとき、その「やわらかさ」はどの程度のものを指しているのか。
また、ピアノは弾く人の演奏技術に左右されてしまうので、気持ちよく使ってもらう為には、「あえて完璧に調整しない」ことが求められる場合もあります。
そういった理想と現実との葛藤は、調律に限らず、どこの世界にもあるのだろうと思います。
完全な素人目線なので、物語上の調律師の描写がどのくらい深いものか、具体的には分からないです。
ですが、少なくとも「ちょっと調べたくらいでは書けないだろう」と感じるほどに丁寧な描写がされていました。
実際、『羊と鋼の森』の単行本が刊行された際のWEBインタビューによると、調律のプロの目から見ても、よく取材して書けているとのことでした。
丁寧な描写ではありますが、読者が助長に感じることもない。このバランス感覚が素晴らしい、と。
参照リンクはこちら!
③:登場人物に共感できる。
『羊と鋼の森』の主人公である外村は、まあ、言ってしまえば「普通」の人です。
取り立てて他の人より秀でている長所とか、音楽の才能等はありません。
人より違う部分といえば、山育ちで、植物や花の名前に詳しいことくらい。
本当に、私たちの現実にどこにでもいそうな、ただの青年です。
だからこそ、彼が調律の仕事を通して感じることになる葛藤は、私たちに強く共鳴します。
調律の学校を卒業したとはいえ、技術や経験などが圧倒的に足りない外村は、物語で何度も自分の未熟さを痛感させられることになります。
自分が手を加えたことで、かえってピアノの音をダメにしてしまったり、
お客さんに先輩社員との担当変更を申し入れされたり、
・・・周囲の調律師と比べて劣っている自覚があるので、仕事が上手くいかないことに焦り、もがきます。
こういった状況は、多くの方にとって、自分が新入社員の頃を思い出すのではないでしょうか。
「何を求められているのか、よくわからなくなるときがある」
一番恐ろしいのは、自分でも何が悪いのか分からない、問題の原因すら見えていないということ。
調律というのは特殊な職業に見えて、「正確な答えは誰にも分からない」ということは多くの仕事と共通しているかもしれません。
外村が「どうしていくことが正しいのか」と、板鳥さんに相談する場面があります。
「調律に正しいという基準は無いのだから、正しいという言葉には気をつけた方がいい」と諭されながら、こうアドバイスされます。
こつこつと守って、こつこつとヒット・エンド・ランです。
毎日こつこつと積み上げること、ホームランに執着して自暴自棄にならないこと。
日常に大きな変化がいきなり起こることはありませんが、大事なことは「1日1日を大切に過ごす」ということなのでしょうね。
主人公は、調律師としての自己評価は低いのですが、決して腐ったり、諦めたりすることはありません。
物語のラストシーンで、外村はこんな言葉を掛けられます。
外村くんみたいな人が、根気よく、一歩一歩、羊と鋼の森を歩き続けられる人なのかもしれない。
そして、この物語でいいなと感じたポイントは、「何事にも才能によって向き・不向きがあるという事実は肯定しつつも、それが絶対的なものではない」と主張していることですね。
それは、外村のこのセリフによく表されています。
才能があるから生きていくんじゃない。
そんなもの、あったって、なくたって、生きていくんだ。
あるのかないのかわからない、そんなものにふりまわされるのはごめんだ。
もっと確かなものを、この手で探り当てていくしかない。
その上で、どうしても情熱や経験、努力で才能の差を埋められないと分かったなら、そのときに諦めればいいと。
登場人物の中にはピアニストの道を諦め、調律師になった人物もいるのですが、そういう人も含めて自分の人生に前向きなんですよね。
読んでいて元気になる、気持ちの良い物語でした。
感想
調律師は、ピアノの演奏をしている人ではなく、裏方の仕事です。
ピアノの演奏が好きな方でも、調律のことは特に意識することは無いと思います。
一見すると、地味で、退屈で、日の目を浴びるような職業では無いのかもしれません。
それでも、そんな世界で生きている人が確かにいるのだから、それは絶対に必要なものなんです。
普段の人生で関わる事のない、そういった世界にいる人たちの物語を、小説という媒体を通して体験できることは、純粋に楽しい。
元々、ピアノの演奏を聴くことは好きだったのですが、この物語を読んだことで「どういった人がどんな調律をしたんだろう」という視点を持つようになりました。
私が主人公:外村を羨ましいと思うのは、「これがあれば生きていける」と、自分でそう思えるものを手にしていることですね。
外村にとっては、それが“調律”だった訳です。
自分にとって役に立つとか立たないとか、そんな次元じゃないんですよね。
個人の“利”を超えて、「これで生きていく」と決意できることは、最強の力だと思います。
紹介した作品
羊と鋼の森 (著)宮下奈都