【書評】くだらない事を真剣にやれるから素晴らしい。
夏にピッタリの物語
先日、『おぎやはぎのメガネびいき』をradikoで聴いていたら、「夏休みの話題」が出ていました。
そうか、世間の子ども達は夏休みの真っ最中なんだな・・・。
そんな私も、ようやく夏休み期間に入ったので、またブログの更新を頑張っていこうと思います。
しかし、いつの間にやら夏休みなど一週間程度しかない大人になって、季節感を味わうイベント等もめっきり減ってしまったなぁ。
何となく寂しい気持ちになってくる今日この頃。
それでも、夏になると見たくなる映画や小説は、自分の中に少なからずあります。
ちょうど最近読み返して、「やっぱり面白いな〜」と思った小説を、今回は紹介します。
五十嵐貴久さんの書かれた理系青春小説の傑作、『2005年のロケットボーイズ』です。
−落ちこぼれのオレと引きこもりのアイツが今年、町工場発宇宙行きの手づくり衛星を飛ばします。−
これは本当に面白くて、大好きな作品です。
当ブログでは小説を紹介した記事は少なく、今年の2月ごろに書いた『羊と鋼の森』以来になります。
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【小説】“真っ当に育ってきた素直な人”が歩み続ける、調律師の物語。
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何であまり紹介していないのかというと、生々しい話ですが、ブログのアクセス数が悪いからです。
元々、「書評」を中心に始めたブログだったのですが、現在最も多くの方に見られている記事は、
- アムウェイの勧誘を受けた話。
- 白昼夢の青写真の紹介。
ふざけまくって書いた体験談と、エロゲのレビュー記事が伸びているという結果になっています。
(どうして、こうなった・・・。)
そんな訳なので、恐らくこの記事もそこまでアクセス数は伸びないでしょう。
ほとんど私の自己満足として、紹介させていただきます。
ココに注意
致命的なネタバレは避けますが、
全くの初見の状態で作品を楽しみたい方はブラウザバックを推奨します。
作品のあらすじを紹介した後、3つのポイントに絞って作品の魅力を紹介させて頂きます。
では、早速始めていきましょう!
あらすじ
梶谷信介(カジシン)は都内の工業高校に通う17歳。
退学処分を免れる為の学校命令で、人工衛星:キューブサットのコンテストに出場することとなる。
専門的知識も技術も経験も何もない彼は、必死に仲間を集めたが、
その仲間が揃いも揃って変わり者ばかり・・・
ー冴えない毎日を冴えない気分でやり過ごしていた、落ちこぼれ高校生たち。
渋々始めたはずのキューブサット製作で、仲間と一緒に何かをつくりあげることの楽しさに目覚め、
次第に熱中していく。
何かやらなければ何も変わらない。
たっぷり笑えて少し泣ける青春小説。
退屈な日常
この物語は、私立の工業高校で退屈な日常を過ごす主人公の独白から始まります。
主人公:梶谷信介(カジシン)は、校内のほとんどの生徒から無視されるような、虚しい学校生活を過ごしています。
元々、主人公はバリバリの文系で、工業高校に入学するつもりはありませんでした。
運悪く、本命の受験日に交通事故に遭い、なし崩し的に工業高校を受験することに・・・。
何とか入学できたものの、一学年上の先輩(理事長の息子)に目をつけられてしまったことで、
部活の入部はおろか、文化祭への参加すらも拒まれる立場になってしまいます。
案の定、主人公はグレてしまい、貴重な学園生活のほとんどをパチンコで塗り潰す日々。
学校の屋上の手すりにもたれたまま、煙草の煙の混じった溜息を吐き出し続けます。
本当に、マジで、どうしようもなくつまんねえ。
たまたま参加した合コンの二次会で、その場の盛り上がりだけ考えて6杯もの「マンゴーチューハイ」を呑み干した主人公は、
急性アルコール中毒で二日間入院してしまうことに。
当然、学校からは謹慎処分を言い渡され、退学を免れるための条件として、
『キューブサット設計コンテスト』に参加させられます。
キューブサット
本作で主人公たちが製作することになる「キューブサット」は、一言でいえば「超小型の人工衛星」です。
なので、正確には本作のタイトルは、『2005年のキューブサット・ボーイズ』になります。
ただ、それだと大抵の読者は意味が分からないため、このタイトルになったそう。
(作者曰く、「専門職の方は大人気なくツッコミを入れないように」とのことです。)
作中でこのキューブサットは詳しく説明されていますが、ぶっちゃけ、
機構やら機能やらが全然理解できていなくても、全く問題なく物語を楽しめることが出来ます。
これをつくることになる主人公自身、「何が何だか分からない」という状態で最後まで突っ走るので。
参考
参考:革新的衛星技術実証2号機 実証テーマ紹介(キューブサット編)
「そんなもん、できるかい」
主人公たちは当然そう考え、「大先生」と呼ばれる成績優秀(だが嫌味な奴)なクラスメイトを口先三寸で言いくるめて、
コンテストで提出する設計図の作図を押しつけます。
これにて一件落着・・・と楽観的に考えていた主人公でしたが、この設計図がコンテストで「優秀賞」を受賞したことをきっかけに、
さらに厄介な事態に巻き込まれてしまうことに。
ーというのが、この物語のプロローグになります。
では、ここからは作品の魅力を3つに絞って、紹介させていただきます。
作品の魅力:
3つのポイント
1.漫画のように読める。
2.理系学生は超共感できる。
3.バカなことを全力でやれることの大切さ。
1.漫画のように読める。
本作は終始、主人公の一人称視点で描かれる小説で、非常にコミカルな語り口で表現されています。
文庫版の書評を、漫画家の大谷博子先生が書かれていて、
どのページでも最低一回は吹き出してしまうほど、カジシンの語りは面白いのだ。
という感想には、素直に共感しました。これ、決して誇張表現ではありません。
この物語に出てくる登場人物は、誰も彼もが非常に濃いキャラクターで、
「まるでマンガに出てくる人たちみたい」と何度も思いました。
一例を挙げると・・・
登場人物
- 主人公の幼馴染で絶望的に運の悪い男:ゴタンダ
- 高校生にして天才スロッター:ドラゴン
- 能力をフィジカルに全振りしたダブりの先輩:翔さん
- 中卒で、主人公の元カノである彩子。
- 彩子の犬(奴隷的な意味)で、東工大の院生であるオーチャン
クセがスゴイんじゃ!!!
ーと、思わず千鳥のノブさんみたいなツッコミが出てしまいましたが、本当に愉快な仲間たちばかりです。
で、そんな面白メンバー全員に対して、主人公が全部のツッコミ役を担当します。ワンオペです。
このツッコミが、本当に一々面白いんですよね。
主人公の語り
「センサーと磁気トルクの計算式だよ」
そんなことも分からないのか、とあからさまな侮蔑の色を大先生が浮かべた。
そんなことどころか、今お前が言った単語が分からない。
それは日本語として正しいのか。
やらなければならないことはわかっているのだが、何が必要なのかがさっぱり分からない。
つまりそれは、勉強で言えば“わからないところがわからない”状態で、
その意味では最悪なのだ。
「うまくいっているそうだね、梶谷くん」
「非常に順調な進行と聞いてますよ、梶谷くん」
「九月三十日、楽しみにしていますよ、梶谷くん」
座りながら理事長が言った。
どうしてこの二人は言葉の終わりに必ずおれの名前を言うのだろうか。
言わないと死ぬ魔法でもかけられているのか。
「カンベンしてくれよ、オレ、一人っ子なんだよ」
わけのわからない言い訳をするな。一人っ子だって腎臓は立派に二つある。
祖父が危篤なので、というおれからの連絡に、学校のことは気にするな、とマルハシ(担任)は言った。
気にしたことは一度もない。
こういう語り口で、テンポ良く会話が進められていくので、読んでいて楽しいです。
ギャグ一辺倒という訳でもなく、本の帯に書いてある通り、社会問題の一つ“引きこもり”を扱っている作品でもあります。
作中で、そうなってしまったキャラクターがいて、ネタバレは伏せますが、この物語で非常に重要な役割を担っています。
そういった深刻な要素を、ただただ読者に押し付けるのではなく、かといって軽んじて扱っている訳でもなく、
物語の雰囲気を損なわないように、上手く調整されています。
このバランス感覚も、本作の魅力の一つと言えます。
2.理系学生は超共感できる。
物語の趣旨は「人工衛星をつくる」ということなので、理系的な専門知識が少なからず登場します。
ただ、そういった用語が出てくる度に主人公からの説明が入るので、「何が何だか難しくて分からない」という心配は無用です。
主人公の設定が“文系”ということもあって、説明が噛み砕かれていて分かり易いです。
〇〇(ネタバレの為、伏字)が作っているのは、ものすごく簡単に言えば単なる計算式に過ぎない。
パソコン内のイリュージョンというか、要するに机上の仮想現実だ。
謝辞のところで作者の五十嵐先生が述べていましたが、航空工業専門学校への取材や、JAXAの関係者による監修がキッチリされております。
登場人物はふざけたようなキャラクターばかりですが、やっていることはガチガチのガチです。
キューブサットに対して、相当に調べて物語をつくったんだろうなというのが、よく伝わります。
私は専門ではないので、本当に詳しい方からしたら色々ツッコミどころがあるのかもしれませんが、
少なくとも自分にとっては気になりませんでした。
物語の展開は悪く言えば“ベタ”で、都合の良いと感じる部分もありましたが、
「何だか途方もなく難しいことをやろうとしているが、何とか上手くいった」
という感じで、フワッと問題が解決されることは決してありません。
回路に不良があるからパラシュートが動作しないとか、設計図に記載されている薄さで金属を加工できないとか、
発生する諸問題は結構シビアだと感じました。
こういったリアルな描写の積み重ねによって、ここぞという局面で緊張感・緊迫感を生み出してくれます。
あと、私は高専出身なので、理系の学校の雰囲気とかを懐かしく感じました。
もちろん、この作品に登場するような極端な人はいませんでしたが、
「確かに、こんな同級生いたよなぁ」と。工業高校あるある的な面白さも味わうことが出来ます。
3.バカなことを全力でやることの大切さ。
この作品で伝えたかったことは、“何かに熱中できること、それ自体が素晴らしい”です。
青春もののマンガ・小説における普遍的なテーマですね。
「最初はダメダメだった人たちが、徐々に真剣になって、失敗と挑戦を繰り返して、変わっていく。」
まさに王道の少年漫画です。
『2005年のロケットボーイズ』は、理系の学生たちがキューブサットをつくるという物語ですが、
実に少年漫画的なアツさを感じられるストーリーでした。
この物語は大きく分けて二部構成になっていて、
第一部:キューブサット・コンテスト編
第二部:キューブサット・打ち上げ編
という、二本仕立てのドラマが用意されています。
第一部では、コンテストに出て退学を免れるという大義名分があった為、渋々始めたキューブサットづくり。
ですが、第二部では主人公の仲間が
「今度は本当に宇宙に飛ばしてみないか」
と言ったことをきっかけに、再びキューブサットに立ち向かうことになります。
ここでポイントなのが、第二部における登場人物たちの、行動目的の変化です。
究極の話、キューブサットを宇宙に飛ばすことが出来て、だから何なの?ってことなんです。
成功したら凄いことだけど、お金が貰えるわけでも、やらなきゃいけないことでもない。
「自分たちがつくった人工衛星を、本当に宇宙に飛ばしてみたい。」
・・・ただそれだけの理由で、何日も何日も徹夜し、大事な服やiPadを売って費用を作り、
登場人物全員が、懸命に一つのことに取り組みます。
もはや、始めたきっかけや結果はどうでも良く、ただ一つのことに全員が熱中した。
そのこと自体に意味があったんだと思える境地にまで、主人公は達します。
他人に言わせれば、どうでもいい話だろう。おそらく誉めてもくれないはずだ。
だがおれは知っている。
つまらないことかもしれないが、おれたちがそこに意地を懸けたことを。それでいいじゃねえか。
これは、一生持っていても腐らないおれたちの勲章だ。
輝ける場所は必ずある
社会的に見れば、誰も彼もが“落ちこぼれ”と言えるメンバー。
でも、その内の誰か一人が欠けても、絶対にキューブサットは完成できなかった。
学校や、会社という尺度では評価されなかったとしても、
自分の居場所は必ずある。“誰かにとって必要な存在”になれる。
そういった、前向きなメッセージを受け取ることができる、素敵な物語です。
カジシン達がつくったキューブサットは、本当に宇宙に到達できたのか?
是非、本書を読んで確かめてみてください。
統括
『2005年のロケットボーイズ』を初めて読んだのは、高校生のときだったのですが、
「世の中にはこんなコミカルで、面白い小説があるんだ!」
と、自分の中では結構、大きな衝撃を受けた作品でした。
当時、ちょうど主人公たちと同じ理系学生だったこともあり、メチャクチャ影響を受けていたと思います。
「自分もこんな物語をつくりたい!」と考えて、小説を書き始めたくらいです。
・・・まぁ、結果からいうと、全然上手くいきませんでしたね。
「書きたい場面はあるのに、そこに繋がる場面描写や会話がつくれないよぉ〜(泣)」
といった感じで、四苦八苦しながら駄文を出力していました。
文章を書いたことが無い人ほど、自分の文章力に自信があるって言いますが、あれはマジですね。
どう見ても黒歴史です。本当にありがとうございました。
私がこの体験から学んだのは、「世の中の小説家ってスゲェや」ってことですね。
創作の物語を、大衆に受け入れられるように、構造的なストーリーラインと、精緻な描写をひたすら積み重ねていく作業・・・
本当に尊敬します。
以上、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
紹介した作品
2005年のロケットボーイズ (著)五十嵐貴久